2011年7月27日水曜日

コクリコ坂から



コクリコ坂からという映画を観てきたのでその感想。
あらすじなどは下記ホームページ、wikipediaを参照してください。

コクリコ坂から 公式HP
コクリコ坂から wikipedia


ネタバレ含みます。
とりあえず引っかかった場所を挙げてみる。

主人公の海がメルと呼ばれているが、何故メルなのか、説明は必ずしもいらないと思うけど、風間がメルと急に呼び始めるのはどうもおかしい。
絶対に「みんな松崎のことメルって呼んでいるけど、なんでメルなんだ?」みたいな、そういうやりとりが必要だよ!
高校生の恋愛で、名前をどういうふうに呼ぶのか、どういうふうに呼び方が変わっていくのかって重要だよ!
ベタっちゃあベタだけど、「松崎さん」→「松崎」→「メル」→「海」になんなきゃダメだよ!
急にメルになっちゃうんだもんな。
風間はなまじっかチャラいキャラじゃないから余計目立つよ!
だいたいフランス語で海はMER(メル)だからって、劇中全くそれに触れなかったから観客も置いてきぼりだよ。
多分俺だけじゃなくてそんなにみんなフランス語わかんないと思うよ?
意味が全く分からなかったからパンフレットを買って読んでたら宮崎駿のコメントの中にMERに関する記述があってそれで初めて理解したよ。
メルと呼ばれせる必要性も皆無だったし、原作が国民的で説明が不要ってわけでもないのだから、普通に海と呼ばせればいいのに、一体なんだったんだ。。。

あと、結構主人公の海、そして風間は思春期で対峙するにはヘビーな問題に直面するわけなんだけど、二人とも苦しむ描写が極端に少ない、弱いので、話としては年の割には大分しっかりした高校生が恋愛について少し落ち込んだりするけど、結局最初から問題は問題じゃなかったので問題なし、というだけになってしまっている。
これはこの映画の決定的な弱点といってもいい。
もっと苦しまないと、苦しんで苦しんで決断をしていく、苦しいけども前に進もうとしている、そうさせなきゃ絶対にダメだよ。

幼くして父を亡くした為に早く大人にならざるを得なかったが為にしっかりしているけども無愛想な海、バカでは決してないのだけど少し無鉄砲で行動派な風間、その二人が惹かれあって行く中で発覚した二人の出生の秘密。
お互い好きなのに好きになってはいけない。
このまま好きになると、お互いに苦しくなるだけだから。
頭では理解出来るけど、苦しい、苦しい、苦しい。
どうして?こんな秘密知りたくなかった。
どうすればいいの?友達のままでいればいいの?
それが二人のためなの?
苦しい、顔を見るだけで辛い。
胸が張り裂けそう。
仕方ないとわかっていても冷たくされると心が痛い。
苦しい、でも仕方がない。
こうしているしかないの
でもそれでも好き。
そう、好きなの。

くらいはやってくれなきゃダメだよ!
そのくらい苦しみ抜いて「それでも好き」という結論を出した御褒美としてのあのオチじゃないといけないよ!
予告編でも使われていた「どうすればいいの?」の表情は良かったけど、その他に特筆すべき描写は正直なかったよ。
原型がどれくらい残っているかは微妙なようだが少女マンガが原作で、宮崎駿がパンフレットに「原作が結果的に失敗作となったのは心象風景の描写に終始した為」とのコメントを寄せており、おそらく脚本段階で意識的に感情にフォーカスしたシーンを少なくしたと考えられるけど、これじゃあ物語が盛り上がらないよ!
もっとくれよ!
こいよ!
観客にノスタルジーを感じさせることが目的だとしてもお話の推進力が弱いと映画としてなんだかなあという気になってしまう。

ただ、ここまで散々文句書いたけど、別に俺この映画嫌いじゃないんだよ。
というのはノスタルジーを感じることができて気持ち良かったから。
例えば割烹着来て朝食の支度をしているシーンに代表される60年代にあっただろう日常風景は結構細かく描かれている。
買い物に向かう海を自転車の後ろに乗せて坂を下りていくシーン。
舗装されていない道路、行き交う車、これらをCGでやるとうっとおしいしイライラするだけなんだけど、日常生活が細かくアニメで描写される喜びとは相性がいいみたいだ。
アジフライのシーンはもっと長くてもいいし、食事のシーンはもっと欲しかった。
風間にお弁当を作ってあげるくだりがあるともっと良かった。
東京から桜木町に戻る電車内のシーンももっと引っ張ってほしかった。
なんか思い出すと、アレが足んない、コレが足んないばっか出てくるな。
でも動いている絵を観て楽しめるくらいのクオリティはあると思うよ、多分。
そしてあそこがどうだった、こうだった、こう思った、良かった、そういう風に話して楽しめる作品だと思います。
ゲドと比べると大分マシなのは間違いないので、まあ良かったと思います。

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